2001年4月13日  ネットワーカー


インターネット全盛となるずっと以前の話だが、ネットワーカーとはパソコン通信を日常的に利用し、情報の公開、検索、共有、コミュニケーション といった事をしている人達の事を指していた。そしてネットワーカー=おたく のレッテルも同時に貼られていたものである。現在ではインターネットでメールのやり取りや情報検索などはごく当たり前の事でこれだけのことでおたく呼ばわり(ネットワーカー)されたらおたくにとっても迷惑な話だ。ではインターネット全盛の現在においてネットワーカーとはどんな人達を指すのであろうか? 私はこう思う 「文字でリアルタイムに会話をする事に違和感も感じない人種」 をネットワーカーと呼んで良いのではないかと思っている。IRCやICQなどのメッセンジャー、またはBBS等のチャット、あるいはネットワークゲームの中のチャット 等が代表する会話の手段であるが これらを使って音声の会話と同じ感覚で違和感なく会話が可能になればネットワーカーといえるのではないだろうか・・・しかし、この垣根は高く、この感覚を持ってる人は現在でも意外と少ない。(特に中高年層年配にはこの感覚を獲得するのは難しいらしい。)

Eメールは確かに普及している。Iモードのおかげでこれからさらに広がっていくだろう。しかし、Eメールはあくまで手軽な手紙であり会話の手段と考えるには無理がある。会話にはリアルタイム性やインタラクティブ性が必要なのだ。そこでチャットとなるのだが、メール程には市民権を得ていない。やはり会話は音声で という方が圧倒的に多い。(最近は携帯電話でチャットが可能な製品もあるらしいが 「だったら話せよ!」 と突っ込みたくもなる)

パソコン通信全盛時代当時、遠隔地をCCDカメラと専用線を使ってテレビ会議システムを開発したなぞと某コンピュータメーカーが話題になった。しかし、高価な割にその内容はお粗末で、画像はコマ送りと通り越して紙芝居に近かった。そんなシステムに頼らなくても文字だけ十分に会話が可能なネットワーカー達からすると、誇らしげに説明する某メーカーが滑稽に見えたものである。ネットワーカー達にとって遠隔地との同時会議などごく日常的ななんでもない事だったのだ。

こういった話しすると あちら側の人間にすると「心が通わない」とか「現実身が無い」とか言って反論をするがそれは大きな間違いである。向き合っているのはパソコンだがその向こうには自分と同じように生身の人間が向き合っているのである。その人の書く文章にはその人の人柄や知性が現れるものだ。容姿に惑わされる事なく人となりをつかむこともできるのだ。

しかし、文字による会話は貧弱なインフラが生み出した一種の文化であってその文化がネットワーカーという申し子を産み出したのであればブロードバンドの普及によってその文化も衰退しやがてネットワーカーも絶滅する日がいつか来るのであろうか・・ブロードバンドが当たり前になると チャットとは動画+音声で、メールとは動画+ボイスレターで が当たり前になってくるだろう。そうなると文字でリアルタイムに会話をする必要がなくなってくる 誰もネットワーカーでなくなるが 誰もがそれ以上の恩恵をあたりまえのように享受するようになる。

やがて絶滅するネットワーカー種だがそうなるにはあと数年はかかるだろう。 暫くはデジタルデバイドの頂点で己が春を謳歌しようではないか・・・・