2001年7月14日  柔軟な思考を保つために


筆者は現在40歳(2001/07現在)、コンピュータの仕事に従事してからそろそろ20年が経とうとしている。その間にコンピュータの世界は大きく様変わりしたが未だ現役で、設計、プログラミングをしている。40歳といえば会社でもそれなりの地位に就いているし、社会的地位もそれなりにある年齢である。そのいい歳したおじさんが、毎日かかさずネットワークゲームをやっている。コンシューマーゲーム機は一通り持っているし、発売されるゲームは一応、チェックしている。毎週、少年サンデーも買っているし、ビデオ屋に並ぶ新作アニメやSF映画は必ずチェックしている。中古マンガ屋もちょくちょく入荷状況はチェックしている。 いわゆる「卒業していない大人」の部類に入る。

それに対して、「ゲームは卒業しました」。「アニメは興味ありません」という「卒業してしまった若者」が私の身近にも結構いるが、共通して思うのは皆、おじんくさい のである。ゲームやアニメを卒業するのは20歳を過ぎればこれは当たり前の事だ。個人の嗜好についてとやかく言うつもりは毛頭ないが、それと同時に思考の柔軟さも一緒に卒業しているようで、これはコンピュータ技術者としては致命的である。新しいものに付いて行けない、興味を示さない、保守的な若者が実に多い。

思考の柔軟性を大きく問われるのはトラブルシューティングにおいてであるが最近の若い技術者にはトラブルシューティングが全く出来ない人が多いいように思える。現状把握−原因の推論−推論の実証−プログラムの修正−テスト などのプロセスを経てトラブルは解決してくものだが現状把握は出来ても推論がまるで出来ていない。推論−実証の結果、推論が正しくない場合、次の推論−実証へと進む為の選択肢が出てこないのである。把握した現状をいろいろな角度から視点を変えて推論する事ができないのは思考の柔軟さに欠けている所以である。(言うまでもないが、現状把握すら出来ないプログラマーはただの無能である。)トラブルシューティングは特に思考の柔軟さを要求される作業で、経験により知識を積み重ねるのも大事であるが、全く同じ事象に遭遇することは皆無と言ってよい。過去の知識はそのまま記録していても意味がない。本質を捉え、概念的に分解した上で知識として記録しておかないと、応用が効かない。この応用力も思考の柔軟性に多分に影響される。

「卒業してしまった若者」達に共通して言えるのは思考の柔軟性の欠如 と最近特に思う。当然、卒業していない若者 も大勢いることだろうが、いつまでも卒業しないで柔軟な思考を維持し続けてもらいたいものである。まぁ中には「卒業してしまった若者」でも柔軟な思考の可能な逸材はいるだろうが私はまだ出会ったことが無い。そして、なぜか私の周りには 卒業していない大人 が大勢いてその人達は例外無く皆、柔軟な思考を維持しているように思う。

よって、ゲームやマンガは思考を柔軟にする などと下らない結論に達した訳である(笑)